<東京2020 祝祭の風景> 第1部 ブラインドサッカー(5)

2020年1月6日 02時00分

ホームの中央に延びる点字ブロック。全盲の鳥居健人さん(左)を案内する駅員=東京都文京区の東京メトロ護国寺駅で

 「えっ、亡くなったんですか。どうして…」
 知人から電話を受けた鳥居健人(けんと)(28)は、言葉を失った。
 昨年十月二日夜。JR新宿駅(東京都新宿区)の山手線ホームから転落し、電車にはねられたのは、ブラインドサッカーの元日本代表の男性。鳥居と同じ全盲で、かつて千葉県内のクラブチーム「ピンキーズ」にともに所属していた。享年四十七歳。
 鳥居がピンキーズに籍を置いたのは小学五年から中学三年で、当時男性は三十代前半。きさくでまじめな先輩で、社会人チームの中、飛び抜けて若い十一歳を温かく迎え入れてくれた。鳥居はそこでブラインドサッカーを覚え、十四歳で日本代表に選ばれている。
 警視庁新宿署によると、男性の死に事件性はないが、転落事故か自殺かは判別できなかった。現場にホームドアはなかった。
 駅のホームは「欄干のない橋」と呼ばれることもある。転落は視覚障害者にとって身近な恐怖だ。鳥居も二回経験がある。
 最初は高校生の時。早朝で寝ぼけていて、線路側にすとんと落ちた。もう一回は社会人になってから。電車にあせって乗ろうとして、車両より随分と手前で線路側に足を踏み出してしまった。幸い、いずれもけがはなかった。
 近年設置が進むホームドアだが、二〇一八年度末現在、一日利用者数が十万人以上の全国二百七十九駅中、まだ約56%の百五十六駅で整備されていない。
 ホームドアがなければ、頼るのは点字ブロックである。そのうち、危険を知らせる「警告ブロック」は、ホームの端っこに必ず設置してあるが、「その上を歩いては危ない」と、鳥居も幼い頃に教わった。
 一方、歩く目安となる「誘導ブロック」は、実はホームに多くはない。だからやむを得ず、警告ブロック上を歩くこともある。
 「他にどこを歩けって言うんですか。僕たちは毎日おびえながら歩いてる」
 鳥居が「ぜひ見てほしい」と言った場所がある。地下鉄有楽町線護国寺駅(文京区)。鳥居の母校、筑波大付属視覚特別支援学校の最寄り駅だ。
 ホームのど真ん中に、誘導ブロックが一直線に延びていた。
 東京メトロによると、視覚障害のある生徒らの命を守りたいという学校側からの要望で、ホーム中央に誘導ブロックの動線を通した。通常は中央に配置するベンチや表示板は脇にどけた。二十年以上昔の話で、ユニバーサルデザインのはしりと言える。
 駅員も、普段から白杖(はくじょう)を持つ人の見守りを心掛けているという。
 「ここなら安心して歩けます」。鳥居の声に実感がこもっていた。
 連載の取材を通じ、記者はしばしば鳥居と並んで歩く機会を持った。肩や腕を貸し、軽く手を添えてもらう。最初は緊張したが、そのうち、とても簡単なことだと思えるようになった。
 鳥居が掛けてくれた言葉が心に残る。「とっても歩きやすいですよ」 =おわり、文中敬称略
 (この連載は臼井康兆が担当しました)

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